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日本とブラジルのつながり

外務省HP・「わかる!国際情勢>Vol.115 ブラジル ~ 日本の反対側にある,多様性に富んだ国」より~

■私たちの身近にある「ブラジル」
その他にもいろいろな場面で,私たち日本人は「ブラジル」と触れ合っています。例えば,ブラジルの音楽では「ボサノヴァ」が有名ですが,その他にもブラジルのジャズと称される「ショーロ」や,今世界で注目されている「セルタネージョ」など,多くのファンから支持されている音楽がたくさんあります。さらに,最近,東京を中心に「シュラスコ(ブラジル・バーベキュー)」や「フェイジョアーダ(豆と肉の煮込み料理)」などを提供するブラジル料理店が増えていたり,「アサイー」などアマゾンフルーツのドリンクがスーパーやコンビニエンスストアに置かれるようになったりと,ブラジルの食文化が徐々に日本に浸透していっています。また,ブラジルと姉妹都市関係にある自治体が日本各地に57もある一方で,群馬県大泉町や静岡県浜松市には「ブラジルタウン」が形成されていたり,浅草をはじめ,日本各地でサンバカーニバルが開催されていたりと,地方自治体レベルでの交流も活発化しています。また,近年の日本サッカーの躍進は,多くのブラジル人選手やブラジル人監督の存在なしには語れませんし,実は「銀ブラ」の語源が,「銀座をぶらぶら散歩する」ではなく,「銀座でブラジルコーヒーを楽しむ」であることも,ブラジルを身近に感じる話題のひとつかもしれません


■100年を超えるブラジルの日系社会
このように,地球のほぼ反対側にあるにもかかわらず,ブラジル社会に日本文化が浸透しているのは,100年を越える日系社会の歴史と深くかかわっています。1908年,最初の移民船「笠戸丸」がサントス港に到着してから,戦前・戦後を合わせて約25万人もの日本人がブラジルに移住しました。移民に寛容な社会環境のもと,今では6世も誕生する,160万人を擁する世界最大の日系社会がこの地に築かれています。ブラジル人は非常に親日的ですが,それは日系ブラジル人の「勤勉」「正直」「信頼できる」という人間性が,高く評価されていることも要因の一つでしょう。ブラジル社会における日系人の活躍も目覚ましく,政治家や知的専門職である裁判官や弁護士,そしてスーパーモデルのジュリアナ・イマイや,歌手のフェルナンダ・タカイ,タレントのサブリナ・サトウなど,多くの有名人を輩出しています。

■日本とブラジルの交流史
二国間関係で見てみると,1895年の外交関係樹立以来,日本とブラジルは友好的な関係を築いており,国連安保理改革(G4)等,国際場裏における協力関係を推進しています。経済協力についても,農業,インフラ整備など,様々な分野において進めており,ウジミナス製鉄所やアマゾン・アルミプロジェクトなど,息の長い,国家的プロジェクトをいくつも行ってきました。中でも「日伯セラード農業開発プログラム」では,ブラジル中西部地帯に広がる,“不毛の地” と呼ばれるセラード(Cerrado)を,世界的穀倉地帯へと変身させることに成功し,ブラジルの穀物生産を飛躍的に増大させました。近年では,環境・防災の分野の協力を進めている他,人材育成の面では,ブラジル政府が推進する「国境なき科学(Science without Borders)」計画に日本も協力し,日本への派遣を希望するブラジル留学生に対する受け入れを,日本の大学や研究機関等で実施しています。

■日ブラジル外交関係樹立120周年
日本ブラジル交流年に開催された「ブラジル・ポップ・カルチャーナウ」(2008年9月)の様子日本でもここ数年,ブラジルに関する話題が増えてきており,2008年の日本ブラジル交流年では,日本人のブラジル移住100周年を祝うとともに,両国で幅広い交流事業を行ないました。これからは,2014年6月の「2014FIFAワールドカップ・ブラジル大会」や,2016年8月の「リオデジャネイロ・オリンピック・パラリンピック」に向けて,日本からブラジルへの渡航者数も増え,ブラジルをより身近に感じることとなるでしょう。また,この世界的な二大スポーツイベントと前後した2015年には,「日ブラジル外交関係樹立120周年」として,様々な記念事業が実施される予定です。日本とブラジルは,距離的には遠い国ですが,お互いを尊重し合う文化や協力の歴史があります。今後行われるスポーツイベントや記念行事を通して,両国の人々が,さらにお互いをよく理解するようになることが期待されています。

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